他人のあら探しばかりする人

アラビア語

9月11日の米国での同時テロ事件以降、世界情勢が一変してしまいました。 国家対テロ組織という歴史上初めての形での戦争が始まり、対米支援と言うことで日本も新たな方向へ進み出したようです。今後の展開を予測するのは難しそうですが、その展開が21世紀の方向性の大枠を決めていくことになるのは確かなようです。
アラビア語との関連では、日本のテレビでも、カタールのアル・ジャジーラ放送によるアフガニスタン発のニュースでアラビア語の字幕に触れる機会が多くなりました。また、全米を騒がしている جمرة (辞書で検索して下さい)などという見慣れない単語もメディアで取り上げられない日はありません。

さて、今日は、最近、Cowan の Arabic-English Dictionary の訳を信じたために、意味を取り違えてしまった例を一つ。
تصيد というⅤ形の動詞については、Cowan の辞書には、「魚等を捕る、捕獲する」と訳されていますが、これは間違いのようです(古典語でこういう意味があるのかもしれませんが、少なくとも現代語ではこのような意味はないようです)。Ⅰ形のصاد やⅧ形のاصتاد は「魚等を捕る、捕獲する」という意味になりますが、Ⅴ形は、「他人の良い点を評価することなく欠点や間違いばかりを指摘する」という意味で使われます。
従って、体育や美術や音楽が良く出来るのに、その他の学科一般が不出来な生徒に対して、「お前は、国語も算数も理科も社会も出来ないようだね」などと長所を評価せず短所ばかり指摘するような先生のことは、متصيد と形容されることになります。

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